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藤原基家 (陸奥守)[ふじわら の もといえ] 藤原 基家(ふじわら の もといえ、生年不詳 - 寛治7年(1093年)9月)は、平安時代後期の貴族。藤原北家道綱流、参議・藤原兼経の長男。官位は四位・陸奥守。 == 生涯 == 長久元年(1040年)左近衛少将に任ぜられ〔『春記』長久元年正月25日条〕、のち左近衛中将を務めた〔『公卿補任』〕。 寛治2年(1088年)陸奥守に任命された〔『後二条師通記』寛治2年正月25日癸酉条に、藤原永清のどちらにするか選考の末、決定をみたことが記される(大日本古記録『後二條師通記』上の181頁)。〕。後三年の役の翌年で、源義家の後任である。寛治6年(1092年)5月から6月に陸奥国最大の在地勢力である藤原清衡に合戦の企てが見える旨を朝廷に報告した〔『中右記』寛治6年6月3日条(増補史料大成『中右記』一の85頁)。『中右記』で清衡は「清平」と書かれる。また、6月3日の日記で「近日」の国解とあるので、事実はそれより少し前。さらに伝達日数まで計算に入れると、基家が解を発したのは5月であろう。〕。翌寛治7年(1093年)9月に任国において死去した〔『後二条師通記』寛治7年9月17日条に、陸奥守基家が死んだと記される(大日本古記録『後二條師通記』中の104頁)。陸奥国から京までの伝達日数があるので、死亡の日付はこれより少し前となる。〕。
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